【なぜCO2の見える化を?】 グローバルなビジネス存続のため、気候変動への取り組みは必要不可欠

サステナビリティ マネージャーの大竹 紘子さん

1905年に創刊した『婦人画報』を起点とするハースト婦人画報社は、メディア運営、コマース、オウンドメディア支援を行うグローバルメディアカンパニーです。雑誌『婦人画報』、『ELLE』、『MEN'S CLUB』、『25ans』などのファッション、ライフスタイル雑誌を刊行しています。

上場企業でもなく、規制に縛られない業界でありながら、環境省が実施する2023年度「製品・サービスのカーボンフットプリントに係るモデル事業」に参加し、CO2排出量見える化にも積極的に取り組んでいます。

サステナビリティ マネージャーの大竹 紘子さんに取り組みのビジネスインパクトや課題、課題解決のための工夫などを聞きました。

目次

  1. 気候変動への取り組みは利益を生むのか

  2. 業界全体でCO2排出量の見える化に取り組める仕組み作りを

  3. CO2排出量見える化に取り組む「目的」を見失わずに

2. 気候変動への取り組みは利益を生むのか 

――現在のCO2排出量の見える化の取り組みとして、どんなことを行っていますか?

2022年には事業全体で排出されたCO2排出量、つまりScope1~3を見える化し、現状を認識したうえで削減に取り組みました。そして、当社オフィスが入居するビルが100%再生可能エネルギーに切り替わったことで、Scope1、2についてはカーボンニュートラルを実現しています。Scope3における最初の削減への取り組みは、昨年春から開始したグリーン電力による全14誌の印刷・製本です。ステークホルダーのみなさんと一緒に環境負荷の低減に取り組んでいます。

さらには、2023年の環境省が実施する「製品・サービスのカーボンフットプリントに係るモデル事業」に参加し、イベント事業のCFP算定も実施しました。

――メディア業界は規制などもなく、上場企業ではないハースト婦人画報社はCO2排出量の見える化を行う義務がありません。なぜ取り組みを行うのですか?

当社は創業当時から時代の要請に応じ、女性の社会進出や環境問題を積極的に発信し、日本が誇る文化や環境を受け継ぎながらも、世の中をより良く、前に進めるための事業活動を行ってきました。一世紀以上経った今も、その信念は変わっていません。企業としてそういった土壌があることが、CO2排出量見える化をはじめとした気候変動への取り組みにとても大きく影響していると思っています。

刊行している『ELLE』はフランス、『Harper’s BAZAAR』はアメリカでもともと出版された雑誌です。グローバルな価値観に触れる雑誌、コンテンツを制作するなかで、環境問題や気候変動への関心が培われたという側面もあるでしょう。

 それに加えて、2021年にIPCC(気候変動に関する政府間パネル)の第6次評価報告書で、昨今の環境の変化や地球温暖化が人間活動によるものであると断定されたと知り、さらに大きく意識が変わりました。

 そこで、これまでも環境問題の発信をしてきましたが、なかでも「気候変動」に注力して、最重要課題として取り組んでいくと、2022年に会社の方針として決まったんです。

 ――刊行している雑誌はファッション誌やライフスタイルがほとんどで、一見、気候変動とはまったく関係ないように思えます。

 環境先進国というと欧州を思い浮かべる方が多いと思いますが、当社は欧州にも拠点を持つグローバル企業の一員で、日本の社内にもさまざまなバックグラウンドをもつ社員がいます。特に、代表取締役社長であるニコラ・フロケは、欧州の気候変動や環境問題への多くの取り組みに触れてきており、サステナビリティへの強い思いを抱いています。そのため、トップの号令のもとに「気候変動への取り組みに力を入れていくぞ」という強い思いで取り組んできました。

 また、広告ビジネスにおいて、環境先進国であるヨーロッパのブランド企業と仕事を一緒にしている点も大きいと思います。企業として環境問題、気候変動への取り組まねば生き残っていけないという強い危機感を抱くようになりました。

 だからこそ気候変動の問題に無関心ではいられないですし、なにより地球環境が整わないと、ビジネスは存続し得ません。生活者の方たちが気候変動に関心を持ちはじめてから、活動に取り組んでも遅いとも考えています。 

――トップダウンの取り組みで、気候変動に取り組むことでどんなビジネスメリットがあるのかなど、社内から疑問の声はあがりませんでしたか?

 私は2022年の夏から当社でサステナビリティマネージャーを務めていますが、サステナビリティや気候変動のプロジェクトをはじめようとすると、スタッフから「それはビジネスになるのですか?」「どれだけの利益になるのですか?」「なんのためにするのですか?」と聞かれることはたしかに多かったように思います。

しかし、1年半経って、最近ではそういった質問を受けることはほとんどなくなりました。

――その変化は、どのように生まれたものなのでしょうか?

 正直とても難しい問題だなと感じています。

もちろん、気候変動やCO2の見える化への施策が利益になる業種もあるのでしょうが、会社によって、それはまちまちです。気候変動への取り組みが短期的に利益を生むのかというと、そうではない状況の方が今の日本では多いのですよね。プロジェクトを立ち上げようとすると新たに勉強が必要になりますし、社内教育も行わなければなりません。時間とお金がかかるばかりで、従来のビジネスの考え方では利益に結びつきにくい構造になっていると思います。それは当社も同様です。

 しかし、前述した通り、無関心でいることはできない問題ですし、これから先のビジネスに関わる重要事項です。気候変動に取り組むことで、生活者が当社を選んでくれるのか、なんのために行うのかと疑問が出るということは、社内で意識の浸透ができていないからだと思いました。ですから、そもそも気候変動とはどんなことなのかということから社員の教育をはじめたのです。その結果、「気候変動は人間活動によって起きていることなんだ」「他人事ではない」「私たちがやらなくてはいけないことなんだ」と社内の意識が変わっていったように思います。

 今では気候変動に関するプロジェクトを立ち上げる際に「なんのためにやるのか」「利益になるのか」といった質問があがることはありません。

たしかに、いま行っている取り組みの結果すぐに、生活者が他社と比較して当社を選んでくださるようにはならないかもしれません。時間はかかるでしょう。しかし、いま取り組んでいることはおそらく、3年後には当たり前の事になっていると確信しています。だからこそ、早く始めることでビジネスチャンスも増えるはずだと考えています。

ハースト婦人画報社が取得した「グリーン電力証書」

2. 業界全体でCO2排出量の見える化に取り組める仕組み作りを 

――いざ気候変動に取り組もうとなっても、なにからはじめたらいいかわからないケースは多いと思います。どのようなステップで進めていったのですか?

 大きく分けて、2つのアプローチを行いました。

1つ目はオフィスマネジメントの側面です。総務から見てできること、例えばプラスチックを減らすといったことからはじめました。オフィスのフロアにあった、ペットボトルに入った飲料水の自動販売機を2019年に撤去したんです。ほかにも、コロナ禍をきっかけにテレワークとオフィス勤務のハイブリッドワークを推奨し、3フロア使っていたオフィスを2フロアに変更したことが、結果的にエネルギー削減に繋がりました。

そして2つ目が、CO2排出量の削減です。とはいっても、他社も同様だと思いますが、何からはじめればいいのか分からなかったものですから、まず自分たちがどれくらいのCO2を排出しているのかを見える化することから着手しました。

2022年にコーポレートフットプリントを算定して、ビジネス活動によってどのくらいのCO2を排出しているのかを算定し、その結果をビジネスごとに分解、どこがホットスポットになっているのかなどプロジェクトごとに見える化と分析を実施したんです。

CO2排出量見える化の一環として、環境省が実施する「製品・サービスのカーボンフットプリントに係るモデル事業」に参加し、イベントのCFP算定も実施しました。

――CO2排出量の見える化をしてみて、課題はどんなところにありましたか?

 当社はグローバル企業なので、欧州のサステナ担当者と話をする機会が頻繁にあります。彼らと話をしているとやはり日本はまだまだ気候変動に対する取り組みが遅れてると痛感することがしばしばありました。

例えば、欧州ではメディア業界のイニシアチブがあり、業界として算定のシステムが構築されているのです。しかし、今の日本でCO2排出量の見える化をしようとすると、企業ベースで取り組みをするしかありません。

気候変動は、ステークホルダーの方たちと一緒に取り組むべき最重要課題です。にもかかわらず企業ベースですと個別の動きになるため、取り組みの重要性を理解していて、気持ちがあっても、社内でコンセンサスをとったり、各企業の足並みをそろえたりするのに時間がかかってしまうように思います。

 本当に世界全体として、日本全体として、気候変動対策を実施するには業界として取り組みやすい環境があるべきだと、算定してみてつくづく感じました。

というのも、当社は、環境省のモデル事業で使用した算定方法と欧州の広告業界イニシアチブが推奨しているシステムの2種類の方法で、同じイベントのCO2排出量の算定と比較を実施しました。すると、どちらも国際基準に準ずる方法や排出係数を参照しているのにも関わらず、算定結果がそれぞれ違って、驚いたという経験をしました。 

日本のメディア業界で決められたルールがあり、それに則って算定していたら、データに一貫性がありますし、算定方法によって結果が異なることは避けられると思います。実際、CO2排出量の見える化をしてみると、どこからはじめたらいいのか、なにをどこまで算定すればいいのかなどわからないことだらけです。おそらく、CO2の算定をしようとする皆さんが、同じような苦労をすると思います。 

もし業界として、気候変動への取り組み、CO2排出量の算定をサポートしてくれるようなシステムやツールがあったら、誰もが経験する最初の苦労もなくなるので、どのメディア企業も参加しやすくなるのではないでしょうか。そして、それによってたくさんのデータが集まり、知見となって蓄積されれば、業界のリテラシー向上にもつながります。 

今回当社が算定をしてみて、課題や難しい点などを他社が同じように経験する必要はありません。今回当社が経験したこと、学びを、業界として行う気候変動への取り組みに役立てられたらと考えています。

グリーン電力で印刷されたハーパス婦人画報社の雑誌(一部)

CO2排出量見える化に取り組む「目的」を見失わずに 

――CO2見える化に取り組んだことで、どのようなビジネスインパクトがありましたか?

前述のとおり、利益を上げるという意味でのビジネスインパクトを喫緊で感じるのは、難しいことだと思います。しかし、収穫はたくさんありました。

一番ビジネスインパクトを感じたのは、刊行している全14誌をグリーン電力で印刷・製本することを発表したときだったと思います。どのようにしたら、グリーン電力での印刷・製本が実現できるのかなどメディアから取材を多数受けたんです。普段取材をする側で、受ける側になることはあまりないため、驚きました。

また、取材を受けたことで気候変動への取り組みやCO2の取り組みに関心はあるけれど、どう進めていいかわからない方たちがどれだけ多いのか実感した出来事でもありました。

取材をきっかけに、他業種、同業種かかわらずさまざまな繋がりもできて、CO2の見える化の知見が広がったことはとてもいい経験になりました。

――消費者、読者からの反響はいかがでしたか? 

気候変動を取り組むべき重要課題に掲げている当社では、刊行している雑誌やデジタルメディア、Eコマースのなかで環境問題に関するコンテンツを様々な形で発信しています。メディアやEコマースによってはアンケートなどで読者、お客さまの意識調査を実施していますが、会社全体として当社の取り組みによって、生活者にどれくらい関心をもってもらったか、どのように行動変容をもたらしたかという結果を収集しまとめていくのが、今後のテーマだと考えています。

しかし、先ほども申し上げたとおり、3年後には当社の取り組みが当たり前になっているはずです。コンテンツ作りにおいて、気候変動やサステナビリティを盛り込むことは今から取り組むべきことだと認識しています。

ーー生活者にとって身近な存在である雑誌やメディアが、気候変動について発信をする意義についてはどのように考えていますか?

気候変動の解決には、まず知り、どういうことなのかを学んで、皆が行動することが必要です。だからこそ、メディアは気候変動の解決にとても大きな役割を持っていると考えています。

情報の受け取り手にもいろんな方がいて、学術的な読み物で情報収集したい人、テレビや新聞で知りたい方もいらっしゃいます。

その一方で、もっと気軽に、身近なところから情報を得たい場合には、当社のようなファッション・ライフスタイルメディアがきっかけになれればと思うのです。ですから、当社は私たちらしい気候変動の情報をわかりやすく届けていくことが重要だと考えています。

情報発信してもわからない単語があったり、自分たちの生活からかけ離れた話だったりすると、思考停止してしまい、そこから先に考えが及ばないことも多いのではないでしょうか。だからこそ、気候変動について正しい情報をわかりやすく発信して、皆さんに受け取りやすい環境を整えて、知って、学んで、行動していただけるようにしていきたいと思っています。

そのためにも発信のネタとなる情報をつくる企業や実際にアクションをしている方たちとの繋がりをつくっていくことが我々としては大切になってくるとも考えています。

――今後の展望を教えてください。 

まだまだ、できていないことはたくさんあります。当社の事業におけるCO2排出量は、ほとんどがScope3にあたる部分です。Scope1、2は当社の意志さえあれば、見える化も削減もできます。しかし、Scope3となるとそうはいきません。ステークホルダーの皆さんならびに、本当にたくさんの方たちの協力が必要です。

だからこそ、一筋縄では行かないと思っています。しかし、Scope3の見える化にも取り組んでいきたいという思いも抱いています。

実際にCO2排出量の見える化と削減に取り組んでいて感じるのは、「そもそもなぜしているのか」を見失いそうになるということです。見える化し削減すること、その結果を開示すること、それによって評価があがることがいつのまにか目標、目的になってしまいがちなんですよね。そうすると、一つひとつの施策に疲れてしまうし、前向きに取り組めなくなってしまいます。

現在も社内に向けて、プロジェクトの「to do」だけではなく気候変動に取り組む意味を、「なんのためにするのか」「なにが大事なのか」わかりやすく発信するなどの工夫をしているのですが、それは続けていきたいです。

まずは解決しなくてはならない、気候変動という大きな課題があり、その解決のためにCO2の見える化、削減がある。それを見失わずにこれからも取り組みを続けていきたいと思っています。

 

(取材・執筆/アスエネメディア 榊原すずみ)

資料 この1冊でLCAの基礎を徹底解説資料 サプライチェーン全体のCO2排出量Scope1〜3算定の基礎を徹底解説
サプライチェーン全体のCO2排出量Scope1〜3算定の基礎を徹底解説